2008年は僕にとって未来予測開始の年でした。

今週のお題「うるう年――2008年の私、2016年の私」

僕が未来予測に関心を持ったのは学生時代。文学の流行がその時代の社会を反映するならば、文学の流れから未来の社会を予想できるのでは?といったものだった。

でも、「未来予測をやるのなら今しかない…もう世の中が劇的に変わってしまうから…今やらないのなら、未来予測をやっても意味がない。」と重い腰を上げたのが2007年の後半。自分なりの未来予測の方法を考えたのが2008年9月頃であった。

当時、すでに世界金融危機が始まっていた。世界的脅威の発生源が、日本ではなく、世界だったので、原因追求の為、とり急ぎ、国連広報センターサイトで過去情報を検索したり、国連大学に行ったりしていた。始めてすぐに、「IMFの歴史と活動、今後の展望」講師:有吉 章(IMFアジア太平洋地域事務所・所長)を読むことが出来た。これはまさに未来予測だった。有吉氏の述べた内容の多くが今のIMFを顕しているといえる。これを読んだ時、漠然と、世界がひっくり返ると思った。
そして翌年。2009年4月2日に開催された第1回G20の直前、3月26日に、国連大学で、国連ESCAPが「アジア太平洋経済社会調査2009」(Economic and Social Survey of Asia and the Pacific 2009)を通常より2ヶ月前倒しで緊急発表した。黒塗りで偉い人がたくさん来ていた。朝日新聞の記者が本書のガリ版刷りを先に読み、日本語版要旨を作ってくれていた。(発表は全て英語だったが)この発表にはとても感謝している。ESCAPの知見をインプットしてからG20の進捗状況を観察できたので、とても良い比較が出来た。僕は、この頃にようやく、世界規模の構造変化がある程度把握できたといえる。世界はもはや一定の協調のもとでしか成り立たっていかない。僕の関心はだんだんと、世界的構造変化に対して、独自の階層型社会構造を持つ日本が、どう反応するかに移っていった。

また、2008年12月、SaaSでNTTとマイクロソフトが提携。世界各国の関係性が変わる中、米国依存型を継続する日本のIT戦略(u-Japan戦略、i-Japan戦略など)は、もはやうまく行かないのでは?と考え、その改革に関心を持ち始めた。

そして、2008年12月は、やはりオバマ大統領。その選挙戦の模様をうかがいながら、オープンガバメント以前のキーワードであるeデモクラシーについて、NTTデータシステム科学研究所サイト(今はもう無い)や、岩崎正洋先生の論文等から勉強した。
おかげでこの頃には、2009年に日本政府がオープンガバメントを唱えることを十分に予測できた。…唱えたはいいが、うまくいってはいない…。

すぐにはやらなかったがtwitterについて知ったのもその頃、2008年12月である。

振り返れば、世界規模の構造変革やソーシャルメディアの爆発的普及に滑り込みセーフのタイミングで、未来予測作業をスタートした。未来予測の準備をしていたら、すぐに激変が始まったというタイミングだ。だから2008年を一生忘れることはない。とてつもなく中身の濃い年であった。

そして、2011年3月11日、東日本大震災津波原発メルトダウンが日本を襲った。戦争経験がない僕の歴史の中では、日本は今、どん底に思える。今よりどん底になって餓死者が多く出て来たら、歯車はもう逆に回せない気がする。しかし、悪いことに日本の階層社会構造は、政治を筆頭にさらに深刻化している。日本国民の特徴で外的脅威に対して自己防衛をするために、階層ごとに内へ内へと仲間同士で固まっているのだ。しかし、日本の階層構造が深刻化して、日本のみんながバラバラになってしまっては日本は自滅する。オープンガバメントは、ここが踏んばりどころだ。

まだとても2016年なんて遠い先の未来予測は出来ない。変動要素が多すぎる。
もし、日本が健在ならば、僕は未来予測を継続しているだろう。
もし、そうでないなら、僕は未来予測をやめているだろう。
未来予測は、日本の未来を知るためにやっているのだから。