みずあめゆうごう_SFといまのセカイとアバター 

渋谷パルコに行った
SFマガジン2月号創刊50周年記念特大号
新城カズマ先生・円城塔先生サイン入り]を買って大喜び

NOVA1もまだ読み終わっていないというのにこれはもうたいへんなこと

・・・  ・・・  ・・・

以前は海外作家のSFを読んでいたが
最近は日本作家のSFを好んで読むようになった

SFのセカイといまのセカイはくべつがつかなくなってきている

じぶんとちかいセカイをいきて、かんじて、吸収して
おなじことばを、つむいで、吐き出し、セカイをつくる
そんな日本人作家に共感を感じるようになったのかもしれない


「そのセカイに親近感を憶える」
よくわからない


「いまのセカイ情報を吸収して、これをもとにセカイを書いているに共鳴する」
よくわからない


「からだ全体が何かをかんじている」
よくわからない、でもなんとなくそんなきがする


「いまのセカイのかくにんをもとめている」
よくわからない、でもなんとなくそんなきがする


「いまのセカイのかくにんをもとめている」
にくわえて
「これからおこるであろうこと(未知)(予兆)へのかくにんをもとめている」
なんとなくそんなきがする


「われわれは、どこにいくのですか?そのかくにんをもとめている」
なんとなくそんなきがする


SFがくれる、現実とはべつのセカイ、そこを旅することをもとめてはなくて、
そのセカイのなかに、いまのセカイのかくにんをもとめている
なにかおこりそうないやな予兆、それにたいして、むいしきなうちにもびんかんにはんのうする
「あーりーあだぷたー」


ふつうに暮らしても、どうでも、デンキのプランによってきょうりょくに
セカイのへんかの予兆をかんじさせられている


あんまりせかいのしげきがつよすぎて、脳がおかしくなっていて
げんじつとくうそうのくべつがむずかしい
どんどんげんじつのセカイの境界線がなくなっていく
あらゆるセカイの境界線はとけてなくなりつつある、これは何をいみするのだろうか


ここまでは、だいたいきのうかいた、きのうのはなし、


ここからは、きょうかいた、きょうのはなし、


きょう、アバター3Dをみた
このえいがをしらなかったわけではなかったが
みにいくかどうかはきめてなかった


あさ六時前なんとはなしにツイッターのTLをみていた


アバター面白かった
3Dだとちょっと疲れるかもしれない
とか書いてあった


すぐよやくをした、


おはようございます、TLを見てアバターを観に行く事を決意!事前予約した!なう!今日は、自転車乗り、映画を見て、英語を勉強する、アクティブな日としよう!なう!


とついーとしてた


見た後は、


アバター3D、そう、えいぞうセカイは、もともヒトであってひとでない、そう、アバターのつくるセカイ、それはもともとそういうものだから、セカイはかわる、すごいセカイ、なう!


乗り物酔い?個人的には、そう、涙が、視覚刺激型涙発生装置で発生する感じ、かな?笑


とついーとしてた


さまざまなじげんで、きょうかいせんは、みずあめのようになりながら、
みりょくあるかたちをゆうごうし、みりょくあるにおいをまきちらし、
なにかあたらしいものへと
みずからをとかしだしている


ここまでが、きょうかいた、きょうのはなし、